理想の教育を求めて

井戸端会議と会議は違う



最近の人は、井戸端会議や茶飲み話、立ち話と仕事上の打ち合わせ、会議と見分けがついていない。
日本人は、民主主義は話し合いだと錯覚している。だから、話し合いを続ければ民主主義を実践していると思い込んでいる。民主主義は法である。手続きである。
その点を理解しないと民主主義の本当の意味は理解できない。
民主主義の本質は法である。法の下の自由であり、平等である。
だから、話せばわかるというのは大間違い。
話してもわからない。それが大前提なのである。
話し合っても全てにおいて合意に達する事は難しい。全員一致は難しい、或いは、あり得ない。だから、法を定めて会議を開き、手続きに則って結論を出す。
そして、法の定めに従って出された決定に対しては無条件に従うそれが民主主義である。
だから、決定の仕方は予め決めておく。それが決まりである。規則である。
決め方も手続きによって決める。それが法治であり、民主主義の原則である。
兎に角、取り敢えず話し合ってから決めようというのは、民主主義では八百長である。
だから、日本人はハッキリしないと言われるのである。
肝心な事を予めハッキリと決めないでとにかくやってしまおうとするからである。始めてしまえば、後からは決められない。麻雀を始めてからレートを決めるような事である。
その事が日本人は解っていない。
そのかわり、予め規則を決めたら規則に従って出された結果には服さなければならない。それがルールである。
決められた通り結論が出ているのに、自分の意にそぐわないと言って勝手に手続きを変えたり、決められた事を覆すのはルール違反である。

キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒、多神教、無神論者といった信じる神が違う者同士は本質的には理解し合えない。この事を日本人は、解っていない。

日本人は、自分達が、一番異端視されている事に気がついていない。
それでいて、自分達が一番の民主主義自由主義の理解していると思い込んでいる節がある。
だから嫌われる。
ある意味で、キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒の方が日本人よりわかり合える。
なぜなら、相手を信じる事は出来なくても相手の信仰心を信用する事は出来るからである。
相手の信仰心を前提にして神を介して契約をする。
それが、契約なのである。契約というのは、人と人との間にされる行為ではなく、自分と自分の信じる神との誓約である。例え、相手を人として信じられなくとも、相手の信仰心を信じる事によって神に誓うから信用するのである。人は裏切れても神を裏切る事は出来ないからである。
神への信仰は信者にとって絶対なのである。
だから、無神論者が一番信用されない。
神を信じる事もできない者に人を信じる事が出来るのかと言う事である。
人前結婚式が流行っているが、人前結婚式なんて誓いにはならないのである。
民主的でも何でもないのである。民主主義というのは、神への信仰を前提としているのであるからである。
だから、民主主義国では、裁判でも会議でも自分の信じる宗教の聖典の上に手を載せて宣誓をさせられる。
宣誓ができない者はいい加減な者なのである。
人前結婚式なんてまやかしであり、いい加減な事なのである。
だから何時でも離婚できる。
離婚だっていい加減である。
神を信じる者は、離婚する時だって神に対する誓約に基づいてする。
日本人は自分を信じてくれと言う。しかし、自分を信じてくれとする根拠が乏しい。保証がないのである。それは逃げ場のない狭い社会にすんでいる日本人だから通用する論理である事を忘れてはならない。

責任者や担当者を決めていない会議は、会議としては認められない。
誰が、どの様に、何を、責任を持って決めるかが肝心なのである。
結論も出ないままに、ただだらだと話し合いを続ける人は無駄である。
肝心なのは、何をどの様に決めるかである。
一番多いのは、責任者を決めてそのものに決めさせる。或いは決め方を決めさせる事である。
後は、多数決とか、全員一致とか決議をとるやり方である。この場合、予め決議の仕方を決めておく必要がある。
他には、くじ引きとか、ゲームで決めるというやり方もあるし、スポーツや賭け事のような勝負事で決着を付けるやり方もある。又は、裁判や審議会、委員会のような第三者機関に委ねる事もある。

いずれにしても意見の相違する者達の意見を一つに纏めて決着を付けるための手段が民主主義なのであって、何でもかんでも話し合えば良いというのは民主主義ではないし、むしろ民主主義の主旨に反している。


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