教育の理想を求めて

なぜ、諦める必要があるのだろう




諦めるって何に諦めるんですかね。
僕は、自分に諦めないという事なんだと思います。
僕は、何度も何度も諦めてきました。
何をやっても駄目だなって。
劣等感の塊ですよ。
受験にも何度も失敗したし、良い所なんて何もない。
でも最後に諦められないのは、自分の事ですね。
諦めて、諦めて、諦めたら最後に自分に至りました。
自分が諦めてしまったら、何もなくなってしまう。
僕はいつも諦めさせられてきました。
高校生の時は、受験の時に理数系を受けたいと言ったら、成績が悪くて最後のまで残され、先生に諄々と説得されました。
お前は自信過剰だって、だから僕は言ったのです。
学校という所は、自信をなくさせる所ですかって、自信過剰でけっこうじゃあないですかと。それで、迷惑をするのは自分なんですから。お陰でえらい苦労しました。でも後悔はしてません。
なぜ理数系を望んだか。たわいない理由ですよ。でも自分の人生ですから、良いじゃあないですか。
お前は駄目だ駄目だと学校でも、家庭でも、社会に出ても。
諦められたら楽ですよね。
嗚呼なんて自分は駄目な人間なんだって・・・。
でもそれで終わりです。
今もそうです。
自分の事を誰一人認めてくれているわけではありません。
自分のやっている事は無意味だと思えればどれほど楽か。
そう思いませんか。
俺は駄目な人間だと言ったら、皆も、納得するでしょうし。だから、諦めきれないんです。せめて自分くらい自分を認め許しても良いじゃあないですか。





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