教育の理想を求めて。
勉強が出来るかどうか
勉強が出来るかどうかは、勉強の仕方で第一歩が決まる。
子供の頃には、さほど、力の差を認めぬ相手高校を卒業し、受験をする頃には、どうにもならない差が生じたり、小学校、中学とそれ程成績が良かったわけではない者が、急激に力を付けて一流大学に受かったりするのは、勉強の仕方を理解しているかどうかの差による部分が結構大きい。
だから、一流大学を卒業した者の多くは、仕事の処理の仕方が上手なのである。
しかし、それは問題そのものを解く力とは違う。
その点を間違って理解していると社会に出てから大きな間違いを犯す。
同時に、なぜ日本の大学が世界でなかなか評価されないのかの原因もそこにある。
確かに、事務処理に長けているかもしれないが、学問そのものを探求する力には劣っているからである。
ただ実務能力や事務能力といった問題を処理する能力には長けているのかもしれない。
自分の力で問題を見つけたり、設定したりという事に疎いのである。
真理を探究したり、創造的な仕事は苦手なのかもしれない。
しかし、これからの国際社会は、それではやっていけない。
社会に出て実際に役に立たない事をいくら勉強して、成績が良かったとしても社会に出て実力を発揮できるとは限らない。
指示・命令の出し方とか、報告の仕方とかを教わらないで、逆に、指示・命令は悪い事だと教え込まれる。
世の中の常識とは逆のことを真実であるように教え込まれる。
過去の事はすべて悪く。新しい事は正しいと刷り込まれる。
事の正否是非善悪に新旧老若男女の別はない。
机上の空論ばかりを身につけても実際に社会に出てから何の役にも立たない。
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