教育の理想を求めて


決められないという病気


自由であるために、主体的であるためには、決めると言う事が大切である。
自分の意志で決めるから責任もとれる。
他人が決めた事に従ってばかりいたら責任を持つ事さえできない。
主体性も能動性も自分で決められないかぎり持てないのである。
つまり、常に、他人に隷属し続ける事になる。

ところが肝心な時に何も決められない人が最近増えている。
やることは決まっているのに、あらかたの結論は出たというのに、決めなければならない段になると突然しどろもどろになって決められなくなる。

又自分では決めたつもりになっていても周囲の人間には決めた事が伝わっていない。
その結果、何も決めていないのと同じ状況になる。
それでいて自分は決めたつもりで周囲の人間を詰るから始末が悪い。
また、複雑な仕事を一度決めたから後は総てやっていてくれると思い込んでいる。
そういう人間にいつ決めたと聞くと半年前に決めて指示しましたと応える。
これでは決めないよりも悪い。

こういう連中が、決められないというのは、病的でさえある。

決断というのは、経験的に身につけることである。
数多くの事を決めればそれだけ決断力がつく。
つまり、決断は座学では身につかない。修業によってのみ身につけられることである。

決断は、気合いである。
抜刀するような気合いで決断する。
決断は、真剣でなければならない。

だからこそ、迷ったらできない。
子供育てる時、一番の間違いは、考えてから決めなさいと言う教え方である。
考えたら決められない。
決断は第一感でする。そして、その経験を土台にして感性を鍛えるしかないのである。

それは知性を否定しているのではない。
決断してその結果が出たら考える。
考えて考えてより決断の精度を高める。
その繰り返しが決断力を磨くのである。
何も考えずに反省もしなければ、正しい決断はできない。
ただ、何事も決断しなければ始まらないのである。

男の身体は、決断しなければ行動がとれない仕組みになっている。
だから、男子は自分の行動に責任を持たなければならない。
男子にとって重要なのは意志である。
欲望のままに行動するのは、男にとって恥である。

今の時代は、恥を男に教えようとしない。
だから自制心が失われるのである。
腕力があることは自慢にはならない。
自分の力を制御できてこそ自慢ができるのである。



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