教育の理想を求めて
事前の準備
家を建てた後にどんな家にするか議論をしたところで意味がない。明白な事である。
ところが仕事になるとこの明白な事が守られていない事がある。
会議が始まる時に、どんな会議にするかを検討したり、結果が出てから指示を出そうとしたりする。
家を建てるのならば更地の時に話を始めなければならないように仕事も白紙の状態の時から話し始めなければならない。
我々は、段取り八分とか、何事も事前の準備が大切なのだと躾けられて育った。
事の成否は事前の準備にあるというのが本旨である。
例えば、遠足や授業の準備は前日に終わらせておけと教えられ、又、習慣になるように厳しく躾けられた。
又、何かを打ち合わせる時に資料が揃っていなければ、打ち合わせそのものを開かせてもらえなかった。
当日までに準備が終わらなかった場合は、こっぴっと゜く叱られたうえに責任を何らかの形で取らされたものである。
これは社会人になってからも同じである。
ところが最近、
準備という言葉が段々聞かれなくなってきた。
遠足や授業の準備は親がする。
忘れ物があっても親の責任になる。
結果、事前の準備は誰かがやってくれるのが当たり前であり、準備してくれないのが悪いと思い込んでいる。
できないのは、教えてくれない方が悪いと何でも他人の責任にしてしまう。
その結果、
何の準備もせずにいきなり会議をしたり、結論を出そうと焦る。
物事には順序、段取りがあり、何よりもも準備が大切なのである。
それが当たり前のようになり、準備ができてなくとも、遅れても悪びれた風がなくなってしまった。
これは我が国にとって深刻な事態である。
ところが、それを深刻に受け止める風潮もない。
調べるべき事や事前に打ち合わせを終わらせておくべき事、用意すべき事、仕事というのは、家を建てるのと同じようにいろいろな部品を順番通りに順序よく組み立てることなのである。
仕事には、流れがあり、その流れに沿って順序が生じ、前後が生まれる。
物事の順番や筋道があるからこそ事前の準備、段取りが重要となるのである。順序や前後を間違えると仕事は捗(はかど)らない。
直前の確認をするためには、打ち合わせをした直後に事前の確認をする費や時間を決める必要がある。つまり、直前の打ち合わせが直後の打ち合わせを必要とするのである。直前の確認は、直後の反省会を決める。直後の反省かは次回の始まりの打ち合わせの日を決める。この様にして打ち合わせの日程は決まっていく。
作業が前後したり、抜けたりすると全て最初からやり直さなければならないことにもなる。
仕事は最初に全体像、構想を持ち、それを仲間と共有することが大切なのである。
打ち合わせでも作業でも一つの作業や打ち合わせだけを取り上げているだけでは点に過ぎない。それでは全体の纏まりはできず、一人で勝手にやっていることになるし、仕事と仕事、人と人との繋がりが解らなくなる。
点と線を結ぶような仕事は仕事の全体像を作ったり、ゴールを見極め事はできない。
最初にしっかりとした構想を持ち共有する必要があるのである。
家を建てる時は、どんな家を建てるのか、家を建てるのに関わる人全員で共有する必要があるように。
何事も最初が肝心なのである。
事前の準備をさせないから後始末もできない子が育つのである。
自主性自発性は、基本ができているから発揮させられるのである。
最初から、自主性だ、自発性だと言っても始まらない。
最初は躾が幹事なのである。
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