挫 折
挫 折
なぜ。
四当五落、五時間寝る人間は、落第なんて言われ。
全てを打ち込んで受験勉強をしてきて、
試験日に風邪を引いて熱を出し、思うような結果がだせずに落第をする。
それまでの努力が水泡に帰す。
泣いても喚いても結果は結果である。
もっと最悪なのは当日寝坊して試験に遅れる、交通機関が動かなくて試験に遅れるなどである。
何が起こるか解らない。
それでも結果は、結果である。
言い訳はできない。
受験勉強に青春を賭けてそれでも志望校に合格できればいいけれど、落第してしまったら身も蓋もない。その虚しさときたら。
挫折。
我々が耳にするのは成功者の話である。落伍者の話など誰も耳を傾けない。
しかし、成功者の陰には数限りない落伍者がいる。
それを忘れてはならない。
毎日、毎日、欠かすことなく、血の滲むような練習をし、実力も誰しもが認め、決して負ける相手でもないのに、結果は、負け。
そうなると負けは、負けである。
何とも言いようがない。
なぜ。
なぜと問わずにはいられない。
師の顔が浮かぶ。
母の顔が浮かぶ。
父の顔が浮かぶ。
友の顔が浮かぶ。
なぜと問うても空しい。
何が悪かったの。
自分を責めても始まらない。
いつまでもクヨクヨしてても何にもならないのは解っている。
でも、どうしようもない。自分では抑えようがない。
気がつくと涙がホトホト落ちる。
皆の期待を一身に受けて・・・。
誰にも顔向けできない。
会うのが厭だ。
何を言っても虚しく。
何を言っても虚しい。
人の眼が気になり、
話し声を聞いても自分の悪口に聞こえ、耳を塞ぎたくなり。
逃げ出したくなる。
自分に腹が立ったとしてもどうしようもない。
でも、自分の何処が悪かったのか解らない。
なぜ。
なぜだと叫びたくなるけれど・・・。
叫んでみても無駄なだけ。
もう何もかも辞めたい。
放り出したい。
でも、今踏ん張らなければ、
今頑張らないと・・・。
誰も助けてはくれない。
なぜ、あの時と思いが馳せる。
夢であって欲しい。
やり直せるならやり直したい。
でも時は無情である。過ぎた事は取り返しようがない。
挫折。
このやるせなさを何処にぶつけたらいいのか。
心の中のどうにもならないモヤモヤは何なのだ。
どうしてと問うても、誰も応えてくれない。
心ない言葉が刃のように突き刺さる。
優しさも哀れみに見えてしまう。
悔しい。悲しい。辛い。
悔しい。
全ては一瞬に終わる。
時と伴に、虚脱感に襲われて、何に対してもやる気が起こらない。
時間は、癒やしてくれると思ったが、時が立つと伴にどうにもならないやるせなさが心の中に広がり全てを支配していく。
誰の話を聞いてもうわの空。
そのうち、涙も出なくなる。
何に対しても自信が持てず、虚しさが残る。
野球や剣道なら無心に素振りをするしかないのかもしれない。
無心に素振りをして、良い記憶を呼び戻すしかないのかもしれない。
ただ無心になって自分を取り戻すしかない。
さもないと虚脱感に押し潰されてしまう。
挫折することより、自分を見失う事の方が恐ろしい。
挫折は、人を成長させもし、堕落させもします。
でも、最後は当人を信じるしかないですね。
自分の気力で這い上がってくる事を期待するしかない。
なまじの優しさなんてかえって仇になる。
突き放さなければならない時もある。
でも、信じなければ・・・。
だから最後には神に祈る。
成功者は、挫折をバネにして大きく成長しますし、
駄目になる人間は、一度の挫折で挫けてしまいます。
ただ仲間が挫折した時、子供が挫折した時、見ているだけというのは辛いですね。
何かできると言ったって何もできやしない。
傍にいてやることぐらいしか。それすらも儘にならない。
おまえの気持ちを解ると言ったところで気休めにも成らない。
かえって相手の気持ちを逆撫でしてしまう。
元気出せよと言うぐらいしかない。
無力ですね。
結局、信じてやるしかないんですね。
皆、いろいろと挫折を経験していますけど、過ぎてしまえば忘れてしまう。
そして、結果のみを求めてしまうところがあるんですね。
人間の弱さや失敗、欠点が許せないですね。
最初は、傷口を舐めているようなところがありますが、
段々に傷口に塩を擦り込むようになる。
大多数の人間は、思うようにならない人生と折り合いを付けて生きてきているんです。
中小企業の社員なんて心に傷を負っていない人間なんていませんからね。
皆、馬鹿ばかしだし、駄目人間の典型みたいな連中、劣等生ばかりですね。
彼等と痛みを共有し自信を取り戻させるのは並大抵の覚悟で果て来ませんね。
心に傷を負っている者は、性格もねじ曲がっている者が多いですから。
自分が不幸な人間は、周囲の人間も不幸にしようとします。
だからこそ幸せにしてやらないと、幸せにしてやらなければ、皆、不幸になるんです。
挫折からどう立ち直っていくかが大切なので、挫折したことが問題なのではないと思うのです。
人は老いるのですよ。
先ず、成長が止まって、今までできてきたことが一つ一つできなくなる。
その時、人を慈しむ心が出てくる。そうしないと自分が生きていられなくなるからです。
老いは、究極の挫折をもたらす。
悩み、苦しみ、絶望する。
そして、その先に、自分を受け入れ、許すことしかなくなる。
若い時は、挫折しても立ち直れる。
しかし、老いの挫折は立ち直れないのである。
ただ受け入れるだけである。
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