C 問題意識


 学校生活の延長線上にサラリーマンがある。サラリーマン、つまり、月給取りである。決められた、時間に、決められた仕事を行い。決められた基準によって評価され、その評価によって予め定められた基準で計算された報酬を得る。それが月給取りである。それが、平等だと思いこんでいる。
 現代社会は、サラリーマン主義国家である。

 学校生活が長いと学生気分というか、学校生活の習慣が抜けきれなくなる。それがサラリーマン社会の行動規範にも色濃く反映される。
 私は、時間で割り切れるような仕事はすべきではないと言っている。むろん、製造業には、時間で決められた仕事がある。しかし、大多数の仕事は、時間で割り切れない仕事である。学校では、時間で、授業が決められている。しかし、仕事は、結果、成果で測られる。要は、問題意識の違いなのだ。

 与えられた時間内に与えられた仕事をこなす。それは、学生時代なら通用するが、現実の社会では通用しない。そのことに早く気がつかないと。

 学校では、よく、問題意識が大切だと教える。問題意識を持てと言う。しかし、問題意識を持てない様にしているのは、学校である。
 学校では、試験の成績が一番ものをいう。試験の成績がいい者が、学校の中では一番偉い。しかし、試験では、問題を解く技術は問題にされても、問題を設定する技術は教えてくれない。なぜなら、問題は、所与の事だからである。また、問題から導き出される解答も所与の事なのである。それが試験制度ある。だから、試験勉強では、問題を解くことしか教えていない。
 問題そのものを設定したり、問題そのものに疑問を持つことは許されない。解答も然りである。解答を作り出す事も、解答に疑問を持つことも許されない。
 しかも、いつも一人で問題を解き、解答を出さなければならない。
 しかし、現実の社会は、違う。一番大切なのは、問題を設定することである。設問の技術が、現実の問題を解く鍵なのである。そして、大概の問題は一人では解けない。複数の人間が、一致協力して答えを見いだすのである。しかも、答えは、一つとは限らない。それが現実である。そこで要求されるのは、コミュニケーションの技術である。重要なのは問題意識の共有である。
 しかし、試験勉強では、コミュニケーションの技術は必要とされない。むしろ、邪魔なものである。結果、人付き合いのできない人間を大量生産する。

 決められた事を決められたとおりに解く。それが、試験制度である。そして、試験される内容も結果も現実には、何も役に立たない。
 問題を予め設定していてもらわないと何もできない。決められた事を決められたとおりにしかできない。そういう風に教育をするのが試験制度である。
 そして、その先にあるのが、科挙、官僚制度である。官僚に近いのが、サラリーマンである。

 一般化、平準化、平均化された社会なんてどこにない。皆、それぞれ何らかの特殊な事情を抱えている。それが、正常なのです。
 価値観の多様化というが、それは、錯覚です。むしろ、社会は平均化、一般化されている。それは、価値観の無自覚な平準化です。
 学校は、社会から、子供たちを切り離して、特殊な社会を作り、それを標準化している。
そういう子供たちは、大きくなったらサラリーマンになることが当たり前だと思うようになる。

 問題も正解も現実の社会では、所与のものではない。つまり、問題も答えも与件ではない。しかし、学校では、問題も答えも与件である。これが、現実と学校との間に断絶を生み出しているのである。


問題意識U
問題意識V
試験問題
問題意識W




                content         


ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2005.9.8 Keiichirou Koyano
教   育