道場と学校


 戦後の日本人は、戦前の社会の仕組み、在り方を前近代的なものとして全否定している。しかし、その戦前の社会において育てられた人達によって戦後の発展の礎が築かれたことは紛れもない事実である。

 松下幸之助、ホンダの本多宗一郎、シャープの早川徳次、鈴木商店の金子直吉、山善の山本猛夫、トヨタの豊田佐吉と言った戦後日本の復興し、高度成長を担ってきた経営者の多くがたたき上げである。

 彼等を旧体制の人間、古いと嘲るのは勝手である。しかし、彼等は今日の日本の繁栄を担ってきたという実績がある。彼等を馬鹿にしている我々は、まだ結果を出していないのである。我々が出す結果は、我々の孫子が背負っていくことになる。そのことを忘れないで、自分達の事を考える必要がある。

 小学校を出たかどうかぐらいで小僧に出され、商家ならば丁稚、手代、番頭、大番頭、宿這入り、のれん分けと出世した。工場ならば、小僧、職人、職長となり、独立した。
 小僧になると朝早くから掃除に始まり、夜遅くまで、住み込みで働いたのである。そして、休みは、1日と十五日の月二回。
 戦前の製本工場の様子を山本七平は次のように伝えている。(「日本資本主義の精神」山本七平著 ビジネス社)
 床は板張りで、まるで道場のように磨き上げられ、店主といえども、ここにはいるときは、寒中でも必ず足袋を脱ぐ。<中略>正面には、神棚があり、仕事中はもちろん禁煙、むだ口をきく者はいない。正月には、必ず、裁断機におそなえをそなえて、七五八縄(しめなわ)を張る。それは工場と言うより、一種の、精神修養の道場のようであった。
 この様な職場は、一種の運命共同体であり、道場であった。
 その上で、著者は、その著書にでてくる製本屋の社長を例にひき、今は成功し、最新鋭の機械を備えた四階建てのビルを持っているが、いまそれを全て失っても革すきとノリ刷けとノリ盆があればやっていけると確信している。

 最近、買い物をしたり、外食をすると気が付くのだが、初歩的なミスが多い。家へ帰って包装紙を開くと頼んだものと違う物が入っていたり、でてきた品が注文した物でなかったりすることが頻繁に起こる。こうなると、初歩的なミスではすまされない。モラルの問題である。仕事に対する責任感、緊張感がまるで感じられない。プロの仕事とは思えないのである。

 確かに、仕事をする目的は、生活の糧を得ることである。しかし、それだけの動機では、顧客の要求を満たすことはできない。共産主義国では、顧客に対するサービスなど微塵も感じられなかったが、それは、金儲けそのものを否定したからに他ならない。しかし、金儲けだけを目的としたら、サービスは向上するであろうか。金儲け主義だけでは、サービスは向上しない。それは、対価に相当したサービスしかしなくなるからである。それでは、仕事に一定の規律を持たせることは困難である。
 また、休日を増やすことが、労働条件を改善することだと思い込んでいる、官僚や政治家、労働組合が多いようである。結果、休みばかりが増えてしまった。しかし、本当に休みを増やすことが労働者にとって有益なことなのであろうか。
 この様な考え方の背景には、労働は、苦痛であり、悪いものだという考え方が潜んでいるように思えてならない。
 資本家のために働かないと言う思想が労働そのものを否定してしまったのだから、滑稽である。労働者の思想が、労働を蔑ろ(ないがしろ)にした。

 かつては、仕事に対しても一定の規律が求められてきた。金儲けという動機だけでは、仕事が成り立たないからである。
 労働をただ生活費を稼ぐだけの場として修業、修養の場として捉えていたからである。働くことそのものが、人間を向上させ、成長を促している。労働は、苦役ではない。汗水垂らして得た物だからこそ尊いのだという思想である。労せずして得た物には、それだけの価値しかない。だからこそ、労働は喜びであるという発想である。労働こそ、人を成長させるという考え方である。

 学校もやたらと休日を増やしている。休日を増やしたことで、子供も、先生も、保護者も楽になったかと言えば、かえって負担が増えているというのが実状である。これなども、勉強は、苦痛だという思想から発している。休みを増やせば、ゆとりが生じる。だから、ゆとり教育と称している。まあ、頭デッカチの世間知らずの人間が考えそうな事だ。休みを増やせばゆとりができるというのは、短絡的すぎる。

 学校教育が主となってから教育から修業という要素がなくなった。しかし、日本本来の教育は、修業である。修業は、学校でなく、道場でなされる。

 躾、修業は、学校よりも道場の方が主だった。そして、道場は、社会の中、日常生活の中にあったのである。そこには、厳しい戒律があった。その掟や戒律を否定したら、文化は成り立たない。

 かつて教育の目的は、全人格的なものだと信じられてきた。だから、道場と言ったのである。かつての日本は、そこら中に道場があった。起きてから寝るまでいずれかの道場の中にいた解いても過言ではない。そうやって日本人は、心身を磨いてきたのである。その結果、生きていく為に必要な技術を身につけ、独立を守るための気概、職業意識も身につけたのである。そして、それが日本の今日の繁栄を築き上げた。

 修業は、道場に入る時から始まっている。そして、ちゃんと後始末をしてはじめて終わる。そして、それは、礼に始まり、礼に終わることを意味する。

 仕事には、始まりと終わりがある。この始まりと終わりがしっかりしないと、けじめがなくなり、仕事全体がだらしなくなる。この始まりと終わりは作法になる。つまり、定型化する。それを身を以て教えてきたのが、戦前の社会だったのである。





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