中年期


 現代社会は、青壮年期のみを重視し、中高齢者を切り捨てている。生産性や効率ばかりを重視しているからそうなるのである。
 現代人は、物事の本質を見失っている。いかに、実り豊かな人生を送るかが、本来の問題であり、その為に、社会の生産性や効率を高めるのである。社会の生産性や効率を高めるために生きているわけではない。
 手段と目的をはき違えているのである。中高年層から、仕事を奪い、社会からリタイアさせる事は、最も、人生において社会からの支えがなければならない時に、社会から見捨てられてしまうことになる。生き甲斐を奪うことになる。生きてる甲斐がない。本末転倒である。それこそが弱者の切り捨てなのである。

 中年期というのは、ある種残酷なもので、それまでの行いの結果を明確にしてしまう。人生の勝者なのか、敗者なのか。成功者なのか、失敗者なのか。神は、それでも寛容であり、敗者復活の道や出た結果なりの充足の道も残して置いてくれる。しかし、いずれにせよ、中年以降は、不可逆な方向に突き進んでいくのである。もう若く離れない。人類は、不老不死、若返りの妙薬を求めてきたが未だにそれは見出されてはいない。

 しかし、中年期は、熟年期とも呼ばれる時期でもある。つまり、人間として本当に成熟してくる時期でもある。実り多き時期でもあるはずなのである。現在は、否定的にしか、中高齢期を捉えないが、しかし、本来は、功成り名を遂げ、社会的地位も経済的地位も固まり、人々から尊敬されて、悠々自適の生活が送れるようになる時期でもある。ご隠居という言葉には、本来、そのような尊敬心も含まれていたはずなのである。

 ご隠居という言葉は、単純に世捨て人とか、引退者という意味だけでなく、人生経験豊富な物知り、知恵者という意味もある。決して、世の中で居場所がないわけではない。小言幸兵衛という言葉が示すようにそれなりの役割があったのである。

 残酷なことに、技術革新の速度は、それまで培ってきた知識や技術、蓄積してきた経験などを無力化してしまう。急速な技術革新がない時代は、一度身につけた技術や知識をひたすら磨き続けていれば、一定の年齢に達した時、名人、達人と人々の称賛と尊敬の的になることができた。しかし、今日では、最新の知識や技術もすぐに陳腐化してしまう。それに、若い者の方が、新しい技術や知識を吸収する力が強い為に、どんどんと若い力に取って代わられてしまう。しかも、コストが若い者の方がやすい。競争が全てを支配する現代社会では、中年を過ぎると居場所もなくなってしまう。そのことによる疎外感と喪失感は、絶望的なほど大きく。生きる気力すらも奪ってしまう。我々は、引き籠もりというと、若年層のことばかり問題にするが、中年期以降の引きこもりの方が、より深刻で重大なのである。

 子供達の巣立ち時期であり、空の巣症候群(empty nest syndrome)に陥りやすく。(「脳科学から見た機能の発達」 ミネルヴァ書房)仕事からの引退が虚脱感や喪失感になり、自分達の人生の意義を喪失したり、見失うことにも繋がる。また、社会的な地位やそれまで培ってきた人間関係を失うことで人生や生活の基盤を失うことにもなる。職場にいれば、それなりの敬意を払われ、権威もあり、自尊心も保てたのが一朝にして全てが白紙に戻る。ただの人となってしまうか、それ以下となり、目下の年下の者から馬鹿にされたり、無視されたりする。つまり、人間としての尊厳や名誉が保たれないのである。それを金銭的に保障すればいいではないかと言うのは、あまりにもその人の人生に対し不遜である。

 最近は、中年期に離婚するケースが増えている。それは、夫婦が子育てや仕事という共通の利害・目的に対し、一致協力して事に当たってきたのに、子供の巣立ちや引退によって共通の目的を失うことも一因である。一つの目的を共有することによって隠されていた価値観の相違が、共通の利害を喪失することによって露呈してくるのである。

 更に、肉体的、生理的には、更年期障害が始まる。また、性欲の減退も追い打ちをかける。精神的にも、肉体的にも老いを感じ、ハンディを背負い込んでいくのである。
 健康を維持しながら、自分の立場、自尊心を保っていくのは並大抵のことではない。それを学ばなければならない。
 
 若年者の引きこもりが問題になるが、より深刻なのは、中高年者の引きこもりである。それは、生きる目的や仕事を失うことによって厭世的になり、また、自信を失って鬱状態に陥りやすいからである。この様に、中年期というのは、肉体的にも精神的にも衰えがあからさまに現れてくる時期である。それは、同時に、熟年離婚のように、それまでの人間関係の破綻ももたらす。

 しかし、反面において性欲や利害に囚われず純粋の愛を成就させる時期でもある。残り少ない人生を永年共にした伴侶と、お互いを労り、支え合いながら、水入らずで充実した人生を送る事も可能なのである。

 人生の節目である。更に高い境地を求めて自己を研鑽していくのか。それとも、社会のお荷物、厄介者になり果てるのかの分かれ道である。功成り名を遂げて、後は、世の為、人の為に生きていく。それは、一つの境地である。

 中年期は、新たなる人生の再出発の時でもある。新しい自分を見出し、老いに備える期間でもある。そして、壮青年期・若い頃においてやり残した事、できなかった事を集大成する時期でもある。

 中年期というのは、自分本来の夢に、それまでの立場に囚われることなく、挑戦することのできる時期なのでもある。ある意味で、中年期にやっとスタートラインに立てるとも言える。

 明治維新を推進したのは、青年と中年とも言える。両時期の人間に共通しているのは、怖いものがない、失うものがない世代だと言えることである。



                content         


ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2005 5.23Keiichirou Koyano