餌をとること

 餌を獲得するというのは、生存する上で欠かせないことである。肉食動物であれば、獲物を獲得することである。自分の力で、獲物を獲得でき、さらに、外敵から身を護る術を身につけて、はじめて自立できる。それが自然の掟である。野生の掟である。
 この二つの役割を人間が引き受けるかわりに、全ての運命を飼い主に握られているのが家畜である。これは、家畜の自由である。真の自立ではない。真の自立を勝ち取るためには、痩せても野生の自由を教える事以外にないのである。

 現在の教育は、サラリーマン、組織人育成のための教育である。つまり、組織がなければ生きられない人間を育成するのが、現行の学校の擬似的目標になっている。
 父親や母親の仕事の跡を継がないのは、継がないのではなく。継げないのである。父親や母親の仕事を継ぐためには、学校の勉強とは違った勉強をしなければならない。しかし、それは、就学期間を過ぎてしまうと年齢的に困難な技能である場合が多い。だから、結果的に、父親や母親の仕事を継がないで新しい組織に所属せざるをえなくなるのである。かくて、自営業者や職人は、衰退していく。なぜならば、現行の学校教育が組織人を育成することに主眼を置いていて、自立した個人を育成することに主眼を置いていないからである。

 餌をとるとは、即ち、経済的に自立することである。これは、社会の掟を身につける、外敵から身を護ることの次に学ぶべき事である。そして、最終的な教育の目的でもある。の三つの目的から逸脱した教育は、真の教育ではない。これら身につけた上で、更に、好きなこと、役に立つことを学ぶのは、それそれで尊いことである。しかし、それが、教育の最終目標ではない。教育の最終目標は、自立、独立である。教育の結果、自立・独立できない者がでたら、それは、教育の失敗、敗北なのである。

 公教育の目的は、大学受験ではない。人間としての自立にあるのである。




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