職     場

 職場は、仕事の場である。つまり、生産的場である。
 生活のための技能を習得する場である。つまり、生きていく為の手段を学ぶところである。また、職場は開かれた空間である。
 職場は、教育の最終段階である。ある意味で本格的な学習の始まりであり、ある意味で、教育の完成、仕上げ段階である。むろん、勉強学習には、終わりがなく、職場の中で生涯続くことになる。その意味では、教育期間の中で一番長い期間いる空間だとも言える。

 職場における教育主体は、上司であり、先輩であり、顧客である。つまり、状況や場面場面によって主体が代わる。

 職場は、社会への入り口である。定職についてはじめて一人前と認知される。ところが、最近は、三十半ば過ぎても定職に就こうとしない人間がいる。

 家の仕事を手伝いながら、社会に出る準備をしてきた。しかし、家業が廃れる一方で、家事も女性を隷属させるものだと否定されることにより、子供が、家の仕事の手伝いをし
なくなった。
 家の手伝いをする代わりに、アルバイトをするようになった。その為に、アルバイトが、最初に社会に接するものになり。結局、アルバイトによって社会勉強をする結果を招いたのである。必然的に、定職に就かずにフリーターになる若者を増やしてしまうのである。

 女性の場合、家事が定職に代わるものであった。しかし、今の風潮は、家事労働に否定的であり、女性の社会進出、自立を促す方向にある。ところが、女性の自立も、結局、学校教育の延長線上にある。そのために、女性も社会性を身につけられないまま、社会に出ることになるのである。

 こうなると、これは、何かの陰謀ではないかと勘ぐりたくなるのも無理のない話である。

 職場は、社会への入り口にある空間である。故に、いろいろな段階を設けて、社会人を受け容れてきた。しかし、その働きが、職場から消えようとしている。その反面において、学校教育は、この働きに代わるものをもっていない。そこで、企業は、独自に教育プログラムを開発し、自分達の社員に施すことになる。企業内教育が盛んな理由もそこにある。しかし、学校教育と企業内訓練との間に連続性も整合性もない。その為に、ともすると企業は、洗脳的な手法をもって教育するケースもでてくる。しかし、この様な教育は、人間の人格形成に悪影響を及ぼす危険性を孕んでいることを忘れてはならない。

 職場に流れている力は、組織原理、即ち、規律や秩序です。そして、経済の論理です。職場では結果が先行します。故に、結果を出すことが何よりも求められます。この点は、動機を重視する家庭や過程を重視する学校とは違います。それ故に、最初は困惑することが多くあります。しかし、それは、一定のプロセスの最後の段階に入っている証拠だと受け止めるべきです。
 つまり、教育の仕上げ段階に職場はあるのである。故に、基本的に実践的なものを重視する。不必要なものは、教えない、教わらない。これまで、身につけていたものの中で不必要な部分が削ぎ落とされ、捨てられていくと思えばちょうどいい。一方に失望と落胆があるが、もう一方に真の自立が求められているのである。




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